「チンタラやってんじゃねぇ」

機嫌の悪そうな声が耳に届いた。
驚いて振り向くといつの間に来たのか、
ラケットを肩に担ぎ私を見下ろしている跡部がすぐ後ろに居た。

チンタラ…って言われても。

私はごく普通に部員にタオルやドリンクを配り、
洗濯物を洗濯機に放り込み、
怪我人の手当てをし、
スコアデータの整理を終え、
時間が余ったから散らばったボール拾いの手伝いを

していた、のに。

そんな思いが顔に出ていたのか、跡部は機嫌悪そうに私を拱いた。

「何?」

尋ねたのに跡部は応えず、無言で私の腕を掴んだ。
驚いて手を引こうとしたものの敵うはずもなく、ズルズルと引きずられていく。

着いたのは部室。
入るや否や、跡部は乱暴に足で勢いよくドアを閉めた。
その音にさすがに驚いて、改めて跡部の表情を窺い…私は足が竦むかと思った。
め、目茶苦茶怒っていらっしゃる…!

私だけを連れてきたところを見れば、八つ当たりでもとばっちりでもなく、
間違いなく私に対して怒っているのだろう。身に覚えはないけれど!

「な、な、何?」

もう一度尋ねる声は自分でも滑稽なほど上擦っている。
漸く腕は離してもらえたけど、優雅に組んだ腕をいらだたしげにトントン叩きながら、
思いっ切り睨まれてては動けない。
何にせよ唯一のドアの前に仁王立ちされてる時点で既に逃げ道はない。

「何してた」
「え…何って、マネージャーの仕事、」
「そんなに大事か?」

えぇ〜…?大事かって…仕事だから、大事も何もやるしかないんだけど
…何でそれで怒られてるの、私。

余程ポカンとしてたのか、跡部は殊更いらだたしそうに舌打ちをした。
全く、何が気に入らないのだろうか。

「辞めろ」
「え?」

吐き捨てられた言葉に私は耳を疑う。
思わず間抜けに聞き返したけど、睨み付ける跡部の視線が、聞き違いじゃないと肯定している。


チンタラやってんじゃねぇ


…あの言葉は、私が役立たずだからなの?

マネージャーになれって言ったのは跡部なのに。
理不尽で我が儘な言い分だと言い返そうとした、けど。

「……っ」

鳴咽が邪魔をする。
堪え切れず溢れた涙で跡部の表情すら判らない。
マネージャーを依頼してきたのは跡部でも、私自身が役立ちたいと思ったのは事実。
他でもない跡部の役に立ちたかった。

悔しい。
悲しい。
辛い。
嫌だ。

「そんなに嫌かよ、辞めるのは」

淡々とした口調からは感情は読めない。
私は馬鹿みたいに何度も頷く。
すると嘲るような冷笑が耳に響いた。
自分に向けられた侮蔑に目の前が暗くなる。

「生憎だがな、下心あるヤツがいると空気が汚れるんだよ」
「…っ…そ、んな」

くらくらする。
仕事の手を抜くつもりはなかったけれど、
跡部のために、なんて考えがあったのは事実。

膝が崩れ落ちそうになった刹那、跡部が突然動いた。
伸ばされた腕は私の肩を掴み、そのまま壁際に押し付ける。
鈍い痛みに思わず小さく呻くと、僅かながらに跡部か震えた、気がした。

「……誰だよ」
「………?」
「誰なんだよ!!」

バン!と私の顔の横の壁を拳で打ち付ける。
何を聞かれているのかさっぱりな私は、
それでもテニスをする手を大切にしないその行為に慌て、止めようと身じろいだ。
その途端。

「逃げんな!」
「え、………んっ」

さらに強く押さえ付けられ、目を瞠ると同時、噛み付くように口付けられていた。
びっくりしすぎて固まっているのをいいことに跡部はなかなか離れてくれなくて、
漸く離されたときにはすっかり息が上がっていた。

いつの間にか涙は止まっていて、
クリアになった視界いっぱいに跡部の顔があった。

「………怒らねぇのかよ」
「………………」
「はっきり、しろよ」

辛そうに眉を潜めた跡部に思わず胸が高鳴る。
何も言えなくなった私に痺れを切らしてか、
跡部は再び唇を押し付け、私の肩口に顔を埋めて私を抱きしめた。

「気に食わねぇ…何のために必死こいてんだよ、お前は」
「え…」
「他の野郎のためになんか動くんじゃねぇよ…なぁ、ずっと俺の傍に居ろよ」

その命令は言葉遣いこそいつも通りではあるものの、
僅かに震えた声音はまるで縋り付いてくるようだった。
私には跡部のこの様子も、この言葉も理解できない。
僅かな動きすら制限されてしまった私は、何とか自由な指先を丸め固く拳を握った。

「跡部…」
「……」
「跡部」
「…んだよ」

すぅっと息を吸い込む。
相変わらず顔を伏せたままの跡部の表情は窺い知れないけれど。

「さっきの、質問の答えだよ」
「…あ?」

何のために、誰のために、なんて決まってるのに。
気合いを入れたはずの言葉は緊張のあまり上擦ってやっぱりあまり恰好はつかなかった。
でもきっと、跡部の声音のほうがよっぽど間抜けだ。
戸惑う様子を隠そうともせず、つい緩んだ腕から私は何とか抜け出す。
涙に濡れて酷く不細工だけど、今は気にならない。

「でも、跡部が辞めろって言うなら…仕方ないから」

意地悪に言って、笑いそうになるのを堪えて部室から抜け出そうと戸に手を掛ける。
するとそれより早く、カチャン、と鍵が閉められた。
後ろから伸びたその手がそのまま私の手に重なる。
僅かに汗ばんでいてらしくない。けれど私の心臓を走らせるには十分だった。

「…逃がすと思ったか?」

その声があまりに近くて思わず身を竦めた私が聞いたのは、
いつものような余裕すら含んだ、跡部の笑い声。
だけど、どこか優しく感じるのは気のせいなんかじゃない。

「俺様が、せっかく掴んだ獲物を逃がすわけねぇだろ」

そう言いながら改めて私を引き寄せた腕は、
私が思った以上にあたたかかった。












好きな子に俺様になりきれない俺様跡部。