ラッキーだ、と思った。

や、本当はそんなこと思ってられなかったけど。
何の連絡もなしに、部活をサボることは流石に今までなかったのに
焦る気持ちは抑えられず、放課後の教室に留まってしまった。

真面目な彼女は、絶対に一人最後まで残っていると知ってたから。

日直日誌、なんて面倒なものをきっちり真面目に書こうと
シャーペンを滑らせる彼女のど真ん前に、千石は陣取っていた。

「何?」
「べっつにー?」

勝手に座った、の前の席の椅子。
じっと覗き込んでいると一旦書くのを止め、俺のほうを向いてくれた。
だけど、俺ときたら久しぶりにまともに話せるのが嬉しくて、滅茶苦茶緊張してる。
いつもどおりを装おうにも、きっと顔は引き攣ってるんだろうな、って思うけど。

でもそれも全部仕方のない話。
それだけ緊張すると元々解ってても、今日のようなチャンス、早々無いから。

彼女、とはちょっと前に席がお隣さんだった。
可愛い子だな、初めはそんな印象だったけど、
例えば教科書を忘れたときにさっと気付いて見せてくれる心遣いだとか、
話しかけてみればまるで話題を合わせてくれてるように会話が弾んだりだとか、
とにかく一緒に居るのが楽しくて嬉しくて、気が付けばいつも目で追っていた。

けれど、席が離れてしまえばそう気軽に話し掛けにも行けなくなってしまった。
特に自分の評判に自覚があるだけに、
下手に近づくとが有らぬ言葉を掛けられるかもしれない。

の席は自分の席からよく見えるところで、
話しかけられない分、相変わらず彼女に目は奪われたままだった。
でも勿論そんなことに気付いてはいないは、
新しく席が隣になったヤツと、楽しそうに話してて。

別に、俺が特別仲良くなったわけじゃないって言われたみたいで
悔しくて、本気で惚れた自分を認めざるを得なかった。

だから、焦ってる。
誰とも仲良くできる能力なんて、俺にとっては厄介なだけだから。

「あのさ…部活、いいの?」

逆にこちらを窺いながら、尋ねられた。
瞬間、思わずムカッとして冷たく言い放ってしまった。

「キミに関係、ある?」
「え」

あからさまに動揺したに、しまった、と思った。
でも、折角久しぶりに話そうと頑張ってるのに
まるで早く出て行け、って遠回しに言われたような気がしてしまったのだ。

「や…ちょっと、気に、なっただけ。…そうだね、関係ないね」
「……じゃ、口出さないでよ」

あーもう、俺馬鹿みたい。
怒ったように自分から言っておいて、いざ関係ない、と言われて大ダメージ。
固まっているうちに目を伏せてしまった
…もう話もしてくれなかったらどうするんだよ。
そう思った刹那。

「あの…さ、」
「何?」
「あ…その、何でもない」

話しかけてくれた!って、単純に喜んだ俺はまた撃沈。
もう自分が怒ってるのか凹んでるのかわからないまま、
ただ勝手な感情ばかりがぐるぐる回って、イラついたまま息を吐いた。

「ボクさ、見ててたまにイラっとするんだよね」
「え…」
「人のこと何にも知らないで、へらっとしてるが」

八つ当たりだって解ってるのに、でも気付いてくれない彼女が悪い、なんて
身勝手な思いをぶつけると、俯いた彼女が僅かに笑った。
ついに呆れられてしまったように感じて、顔を顰めるしかない。

「千石が、一番迷惑で一番聞きたくない言葉なら知ってる」

何を言われるのか解らなくて、少し怖くて
誤魔化すように首を傾げて、「なーに?」って少しおどけて尋ねると、

「千石が、好き」

全く予想外の言葉。だってそれは、迷惑でも聞きたくない言葉でもない。
驚いているうちに、一気にの表情が崩れ、涙が溢れた。
はっとして、若干パニックになりかけたまま、
とりあえず、と彼女の涙を拭った。

「ちょ、待って。今、何、何って?や、待って待ってその前になんで泣いてるの?」

馬鹿みたいに噛んで、慌てて、格好悪いことこの上ない。
けれどその不器用なしぐさに涙がすぐ止まってくれて、ホッとした。
少しだけ落ち着いて、少しだけ余裕が出てきた、気がする。

「やーっぱり、人のこと何にも知らないね」

漸くまっすぐの目を見つめることができた。
そうして初めて、も自分と同じように不安に思っていたことも、
…自分のことを、好きだってこともわかった。

「ね、さっき何って言ったの?」

もう一度だけ聞きたい。
は顔を真っ赤にしながらも、ハッキリと、

「…千石が、好き」

言ってくれた言葉が嬉しくて、自然と緩む頬を抑えられない。
またの目が潤んできたのはきっと、嬉し涙だろう。

「それは、一番嬉しくて、一番言わせたかった言葉だよ」

身を乗り出して、零れ落ちそうな涙を口で受け止める。
少し距離を置いて視線を交わすと、気恥ずかしくて2人で笑った。