それだけ厳しい世界なんだもの。
気軽に弱音は吐かないように私だって必死なの!










交じり合う吐息










「たるんどる!」

厳しい声音にハッとして私は顔を上げた。
見るといつもと変わらず真田がコートで檄を飛ばしている。
いつの間にかぼんやりしていた私はまるで自分が言われたようで焦った。


ついこの間、真田が下級生に説教をしていた、その光景が目に浮かぶ。


「自己の体調も管理出来んとは、たるんどるぞ!」

体調不良…と言っても、まぁ見る人が見れば仮病じゃないかと疑われそうだけど、
とにかくそう訴えた下級生に真田は厳しく言い放ったのだ。
立海のレギュラーともなれば当然の心構えだとか何とか言っていた気がする。


だからこそ、今私は気が抜けなかった。
一瞬でも気を抜いてしまった自分を叱咤し、スコアボードを握る手に力を込めた。

…そう、私はまさに体調不良真っ最中だ。
ついこの間あの説教を傍目で聞いていたと言うのに。
勿論私は選手じゃない、ただのマネージャーにすぎないけど、
真田の説教の餌食になる可能性は十分有り得る。

正直なところ頭はガンガンするし足取りがおぼつかない程ふらふらするし、
確実に病院に行くべきなんだろうけど、私は空元気宜しく必死に立ち振る舞った。

異様に高いテンションに気付いてか、
勘の鋭い数人は探るように声を掛けてきたり訝しげな視線を向けて来たりしたけど、
彼らには無理にタオルやドリンクを押しつけて誤魔化した。

勿論、その勘の鋭い数人の中に真田はいない。
その辺には疎いから安心だ。

…と、我ながら上手く乗り切れている、なんて少し安堵していた時だった。

「ちょ、危ない先輩!!」

赤也の声が響いてふとそちらに目を向けると、
物凄い勢いでこちらに向かってボールが飛んで来るところだった。

マズい!と思ったところで体は動かない。
思わず目を閉じて、体を固くしていた…けれど。

「何をぼんやりしている」

覚悟していたような衝撃は訪れず、変わりに呆れたような怒っているような声が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、素手でボールを掴んでいる真田と目が合った。

あ、庇ってくれたんだ。

そう判った瞬間身体の力が抜け、情けなくも私は座りこんでしまった。
今にもたるんどる!って言おうとしていたらしい真田も
流石に驚いたようで、少し慌てて屈み、目線を合わせてきた。

「おい、大丈夫か」
「あ、うん、ごめん平気」

遅れて駆け寄って来た赤也が顔面蒼白一歩手前、みたいな顔をしているのを見つけ、
平気平気、とヒラヒラ手を振ってみせた。

「すんません!俺のミスで…」
「あー…気にしないでよ、大丈夫だったから!私こそゴメン、不注意だった」

律義に謝りに来た赤也を慌ててフォローする。
だって、そうしなきゃ今にも真田が雷落としそうなんだもん。
横目で様子を伺ってみると、案の定物凄い形相で赤也を睨みつけてて、
でも私の言葉に勢いを削がれたらしく、むっと黙り込んでた。

そもそも私がぼーっとしてただけなのに、それで怒られちゃ申し訳なさすぎる。
真田の表情と、私の表情とを交互に見比べる赤也は正直不憫だ。
放っておいてもまだ動こうとはしない2人に、私は少し苦笑する。

「ほら、練習戻っ…て…、」

パッと立ち上がった途端、激しい眩暈に襲われた。
立ってられない。マズい。

と、また倒れ込む前にさっと隣りから伸びてきた腕に支えられた。

「あ…」

頭がガンガンする…視界も心なしか、歪んでる?
支えてくれたのが真田だってことはかろうじで認識してるけど、
周りの音は急速に遠のいていく。

思考回路がフェードアウトしていくのを何となく感じているうちに
ふわりと心地よい浮遊感に包まれた。












「…あれ」

パチリ、と目を開けてみると一瞬自分がどこにいるのか解らなかった。
テニスコートにいたはずだけど、ここがテニスコートじゃないことだけは解る。
ぼんやりと視線を彷徨わせていると、ふと視界の隅に黄色いジャージが見えた。

「目を覚ましたか」
「!」

淡々と聞こえる声。
ビックリしてみると、すぐ上に真田の顔がある。
…ん?上?
妙な位置関係に、漸く私は自分が寝転んでいることに気がついた。

「全く…何故言わん!」
「へっ?」
「体調が優れぬのだろう、何故言わなかった」

じいっと食い入るように見つめられ、思わずドギマギした。
厳しいだけの口調じゃなくて、どこか優しい気がするのは気のせいだろうか。
流石に誤魔化せるはずが無いのに、私はつい首を横に振った。

「だ、大丈夫だよ、ホント、うん、ちゃんと仕事できるから」
「嘘をつくな」
「嘘じゃないって、ほらもう…、!?」

問題ない、と起き上がって見せようとしたのに、
起き上がりかけた上体はいとも簡単にソファに押し返されてしまった。
それだけなら、まだいい。
何を思ったか真田はそのまま人に覆い被さってきてた。

「これのどこが大丈夫だ」

酷く腹を立てたらしく、眉間の皺がいつもより深い。
そんな恐い顔を間近で見て、それだけで心臓が止まりそうだったけど、
すぐにコツン、と真田の額が私のそれに重なって
近いにも程がある距離に、私は別の意味で心臓を止めかけた。

「こんなに熱を出しておいて、」

近い、近いよ真田!
怒ってるはずなのに、そこから心配してくれてる気持ちもありありと解って
私は何も言えずに緊張してしまった。

「無茶をすれば良いというものではないだろう」
「う…」
「あまり、心配を掛けさせるな」

何と、皇帝真田は私を心配していてくれたらしい!
びっくりして思わず間近の真田の目を見つめると
明らかに動揺して、視線を逸らすまではいかないけれど泳がせていた。
うわ、珍しい、なんて思っていたけれど。

「悪いのは、お前だ」
「何、…っ!?」

突然何を言い出したんだ、と思ったのもつかの間、
近いままだった距離が、ゼロになった。

私は当然のごとく思考回路を一時フリーズさせたのだけれど、
それがキスだと認識できてもまだ、真田は退こうとしない。
途端私は恥ずかしくなって、バンバンと真田の胸を叩いた。

「な、何、何で…っ」

漸く少しだけ離れてくれた真田は、
それでもやっぱり至近距離で私を見つめている。
驚きからか、ただ単に苦しかったからか、私の息は上がっていて
私の吐き出した息を真田が吸っているような気がして
その妙な考えに、かぁっと顔が熱くなった。

「お前が悪い」
「い、いやいやいや、訳解らないよ真田!」
「人に心配を掛けさせて、挙句そのような目で人を見るからだ」
「どんな目ですか!!」

平然としている真田が悔しくて、突っ込みながらも睨みつけると
また唇を落としてくる。何、ホント!真田のやることじゃないって!!
酷くパニックに陥った私は真田の目に浮かぶ優しさと熱に胸の奥がキュッとなって

「練習…サボっちゃ駄目だよ」

って、弱々しく反論するしか出来なかった。
流石にそれは一理あると思ってくれたらしく、
うむ、といつもどおりの返事を返して漸く真田は立ち上がってくれた。

「お前はまだ暫く、休んでおけ」
「うん…わかった、よ」

私が大人しく返事をしたのを確認して満足そうに頷くと
背を向けて出て行こうとして、またすぐ思い出したように振り返った。
何?と思うと羽織っていたジャージをパサリと私に掛けて、

「待っていろ、今日は責任を持って送ってやる」

と、笑顔で宣言して、今度こそ真田は出て行った。
ちょっと待って、何の責任?て言うか、さっきまでの行動の弁明はなし?
去っていった背中に遅れて追いついた思考が訊ねたけど、
ジャージに残った温もりに安心して、私は再び目を閉じた。

…目を開けたら、見知らぬ家にいるなんてことも、知らずに。












ヒロインの家を知らない真田は仕方なく自分の家に連れ込んでしまいましたとさ。