少し腹立たしいような、悔しいような。
自分ではなかなかコントロールできないほどに振り回される感情を持て余し
気が付けば、両手一杯広げた彼に雁字搦めにされているのだ。










甘い罠










「えっ?」

ごぅんごぅん、と若干重苦しい音を立てながら洗濯機が回る。
一瞬聞き違いかもしれないと思って聞き返すと
少し慌てた様子の紳士が繰り返して言い直してくれた。

「ですから、仁王くんが倒れたんです」

聞き違いじゃ、無かったらしい。
思わず彼の顎に黒子がないことを確認していた自分が何だか卑屈な人間みたい。
軽く自己嫌悪に陥りながらも、来て下さいと言う柳生について行った。

どうやら熱射病で倒れてしまったらしい。
やはりテニス部の練習がハードだからか
少しでも気を抜いて管理を怠れば簡単に倒れかねない。
それを解らない仁王でもないのに、聞くところによれば
彼は一切、水分を摂取していなかったとか。

…当て付け、なのかな。

マネージャーである私は、彼ら選手の負担をなるべく減らすのが一番の仕事。
体調管理だってその一環と言っていい。
と言っても、普段彼らは各々が自己責任で管理を行っているから
せいぜい頃合を見計らって声をかけたり、ドリンクやタオルの差し入れに行く程度だけど。

そういえば今日は仁王と顔を合わせてなかった。
いや、今日も、だ。

実は仁王とは3日ほど前から何となく喧嘩してる。
と言うか、一方的に仁王が私に対して怒っているのだ。
何が原因かが解らない私はそれにつられてちょっと苛立っている…って言うのが正しい。

「すみません、部室では何かと騒がしいので、マネージャー室の方に寝かせてしまったのですが」
「あ、うん。構わないよ。後は私が見てるから、練習戻って」

心配そうな柳生に対してにっこり笑って見せると
よろしくお願いします、と少し安心したように息をつき、彼はコートへ戻っていった。

連れて来られたマネージャー室の角に置いてあるローチェアーに
グッタリと横になっている彼に、漸く私は目を向ける。
元より色が白い彼は、熱射病のせいで赤らんだ頬が一際目立っている。
誰かがやったのだろう、不器用に乗せられていた濡れタオルはもう生温くなっていた。

「…何やってんの、馬鹿」

それを傍らに置いてあった洗面器に入っている氷水に浸し、
軽く絞ってもう一度額に乗せなおすと、ん、と軽く仁王が身じろぎをした。
起きたかと思ったけれど、すぐにまた仁王は規則的な寝息を立て、目を閉じていた。

たった3日、顔を合わせなかっただけ。
そうは思っても酷く久しぶりな気がしてしまい、つい見つめてしまうのを止められない。
だってほら、仁王って顔は良いから、なんて誰にともつかない言い訳をしながら
思わずその綺麗な銀髪に手を伸ばしていた。

「何に怒ってるのかは知らないけど…下手に無茶だけはしないでよ」

ポツリ、と眠っている仁王に文句を言ってみても無反応だけど。
解ってて言った台詞が、自分でも驚くぐらい緊張してて
初めて自分が倒れた仁王を前にして酷く心配していることに気がついた。
目を閉じたその表情が酷く無防備で、つい頭を撫でながらも笑いを零していた。

「…役得かなあ、コレ」

普段見られないような仁王が見れるのだ、なんて。
ちょっと嬉しくなってしまっている自分に驚いた。
…あ、あれ、ひょっとして私、ん?

「うわぁ…それはマズいよ…」

唐突に浮かんだ可能性と、正直に高鳴った鼓動。
もしかして、もしかしなくても、ひょっとしたら、いや確実に、
…私は、結構仁王が好きだったのかもしれない。

思い当たったのは今だけど、思い返せばそうとしか思えなくなってきた。
だって、仁王が倒れてこんなに心配してるのも、
たった3日間口を聞かなかったのがこんなに寂しかったのも、
自覚してしまうと全ての辻褄があってしまうのだ。

でも自覚したところでどうなんだろう。
今まさに口も聞かない状態が続いているってことは
私は相当仁王に嫌われているのかもしれない。
それにコイツはモテるし私なんか眼中にも入らないだろう。

自分の気持ちに気付いた途端にどんどんマイナス思考になって、
今の今まで平気だったのに、慌てて仁王の頭から手を離した。
…でも、目を覚まさない今だけ、だったら。

「今だけなら…仁王、独り占めしててもいいよね」

ポツリと呟いた言葉は酷く自分勝手な響きを持っていた。
物凄く自分が馬鹿に思えてきて苦笑した、
          刹那。

「今だけなんて遠慮しなさんな」
「え…!」

パッチリと目を開けて、にっと笑っている仁王の腕が突然伸びてきて、
そのまま強く引き寄せられて、私は仁王の上で捕まった。

「起きて、たの…!?いつから!!?」
が部屋に入ってきたときから」

けろりと答えた仁王はその言葉通り、今目を覚ましたとは思えないほど意識はハッキリしてる。
部屋に入ってきたときって…!初めっからじゃん!!
うわ、うわどうしよう…!全部聞かれてたなんて!嘘!!

「随分可愛らしいこと言ってくれるのう」
「か、勘違い!何も言ってない!」
「照れなさんな、ほら、思う存分独り占め、な?」

私を抱えたまま器用に上体を起こした仁王はこれ以上ないほど上機嫌。
急展開についていってない癖に、ニコニコ笑っている仁王にホッとしてるのも事実。
思い切って背に手を回してみると、一瞬びくっと仁王は震えたけれど
その後また思いっきり抱きしめてきた。

「…物凄く機嫌いいし」

恨みがましく言うと、少し身体を離して真正面から見つめられた。
コツンと額を合わせて、仁王はしてやったり、と笑う。

「そりゃ、今のコト独り占めにしとるし」
「は…、え?」
「ちっとも独り占めに出来ん。で、拗ねとった」

そういえば、大会だなんだって忙しくて
私はとにかくマネージャー業に勤しんでいて、
でも逆にそれでピリピリしてちゃ、選手に申し訳ないからと
必死で皆のメンタルケアに奔走してた。

要するに、仁王は皆に愛想を振りまいてるのが気に入らなかったらしい。
勿論私にそんなつもりなんてなかったんだけど。

何それ!って、言ってやりたいのに、
そんな言葉が嬉しくて私は言葉に詰まってしまった。
それすらもお見通しっぽい仁王が、憎い。

「まさか、お前さんがオレを独り占めしたいなんて言うてくれるとは思っとらんかったぜよ」
「…私だって、そんなこと、思うつもりは、」
「ま、大成功じゃの」

大成功って?
キョトンとして仁王を窺って、はた、と気がついた。
あんなに、熱射病だなんだって言っておいて、滅茶苦茶元気じゃん!!

「嘘、嘘…!全部演技!?」
「何のことかの?」

コイツ…!柳生まで利用して!?
いいように踊らされていたと気がついて愕然とした。
ひょっとして怒ってたのも、作戦のうちだったかもしれない。

「あー…駄目じゃ、目が回る。気持ち悪か」
「わざとらしい!!」

突き放そうとしたら弱々しい表情を浮かべ、もたれかかってくる。
確かにまだ熱が抜けきってなくて、体調も万全ではないのだろうけど
それでも人に頼らないと動けないわけでもあるまいし!

「目も覚めたことじゃし、帰るか」
「…といいながら、何で離してくれないの」
「一緒に帰るじゃろ?」

彼女なんだから、ってキッパリ言われてしまって
私は反論もろくに出来ずに頷いてしまった。

結局、全部仁王の思い通りなのに、
それでもいいなんて思ってしまった自分は、きっと仁王に完敗してる。
悔しかったけど、手を引いて笑顔を向けてきた仁王を見て、
この笑顔を独り占めに出来るなら罠に掛かるぐらいどうでもいい、と思った。












仁王が妬いてくれてたらオイシイと思って(笑)